『天皇制のなにが問題か』パンフレット
2016年8月、平成天皇アキヒトの「おことば」による退位表明を受け、安倍政権は天皇退位特例法を衆参全会一致で成立させた。そして2019年5月1日、ナルヒトは新天皇に即位し、10月22日に即位の礼の中心儀式である「即位礼正殿の儀」が執り行われた。
高御座に上り、高い位置から首相を見下ろす形で、首相が万歳を三唱するという姿に、違和感を覚えた人は少なからずいたであろう。また、この形式や、代替わりの一連の行事が、憲法の定める政教分離に反し、主権在民に反するという声は、ヒロヒト『崩御』を受けて、アキヒトが新天皇に即位した時にもあり、議論になったと思う。
しかし、わたしたちは、敗戦後の日本国憲法が定めている『象徴天皇』の枠の中に、今の天皇の在り方を押し戻すということだけで満足して良いものであろうか。わたしたちは、『象徴天皇制』を含む『天皇制』の真の問題点を今一度再考し、目指すべき社会のために、社会を根本から変えるために、『天皇制』と対峙しなければならない。
〇天皇ヒロヒトの戦争責任
まず、第一にわたしたちが考えなくてはならないことは天皇ヒロヒトの戦争責任である。
戦後、ヒロヒトは、「戦争を回避しようとした」が、「軍部の暴走」をとめることができなかったなどと主張し、自らに戦争責任はなかったとでもいうように振る舞ってきた。しかし、戦時中の天皇の側近の日記類などを見ても、そのような形跡がないばかりか、むしろ絶対的な権力をもった存在として、命令、指導している(『木戸日記』『本庄日記』『杉山メモ』)。また、ヒロヒトが「軍部の暴走」で突入したと言っているのは「太平洋戦争」であり、1931年に関東軍の謀略による柳条湖事件を契機として開始された中国侵略戦争については一言もふれていない。
柳条湖事件から太平洋戦争にわたる十五年戦争で、天皇は、日本の民衆さえ絶対服従させ、搾取・収奪し、人間らしい生活をしたいという願いを踏みにじり、支配階級の利権拡大のための侵略戦争に駆り出した。そればかりか、少しでも天皇を批判すれば、すぐに牢獄にぶちこみ、中には拷問で殺された者も多かった。そして、大日本帝国政府は、朝鮮半島をはじめとする被植民地の民衆には同じ『日本人』であり、『皇国臣民』であると言いながら、無法と残虐をきわめた行為を行い、ほとんど奴隷として生きることを強制した。明治時代の初期に行われた『「北海道」設置』、『琉球処分』によってアイヌ、琉球民族を強制的に『ヤマト民族』へと同化させたが、依然として差別をしつづけ、沖縄は『捨て石』とされて地上戦が行われ、民間人含め20万人とも言われる多くの犠牲を払わされた。敗戦後も『沖縄メッセージ』でわかるように、ヒロヒトはそれこそ自らの生命・生存と引きかえに、アメリカに沖縄を売り渡したのだ。
〇ヒロヒトが民衆に与えたもの
十五年戦争での死者は、アジア民衆2000万人超、広島・長崎の原爆での死者数62万人超、本土空爆等で50万人超、民間人の国外死者30万人超、軍人・軍属の死者230万超と言われる。これらの虐殺の日本の最高責任者は、天皇ヒロヒトである。戦時中の、いわゆる強制連行や『慰安婦』狩りを行った『朝鮮人徴用令』や、身の毛もよだつ生体実験を行っていた731部隊の編制や、沖縄での『集団自決』など、残虐な行為の数々は、すべて天皇ヒロヒトの名によって出された命令によって、実行されていた。このことを、被害者ら、遺族ら、その子孫らが、忘れられるはずもない。この責任を一体、どう逃れるというのか。また、たとえ、ヒロヒトの言うように、天皇個人が戦争を望んでいなかったとしても、大日本帝国憲法にあるように、統治権を『総攬』していた国家の最高権力者である天皇が、承認し、命令した以上、その責任はまぬがれない。だが、敗戦後、ヒロヒトは一生涯、「胸がせまる」だとか「胸が痛む」だとかいう文句しか並べず、自らの戦争責任を認めて謝罪をしたことは一度たりともなかった。天皇は戦時中、国民は天皇の「赤子」であり、愛すると喧伝していたが、天皇に愛されたのはほんの一部の支配階級だけであり、民衆に天皇から押しつけられたものは、犠牲以外、なにもなかった。
〇天皇制が残ったがゆえに
敗戦後から、天皇の戦争責任をしっかりと追及せずに今現在まできてしまった日本社会では、身分差別意識や、血統、民族、障害の有無などの優生思想の払拭や、民主主義、人間の尊厳、平等などの思想の発展は、あまりにも不十分なものにならざるをえなかった。戦争反対とさけぶもの、差別はいけないとさけぶもの、民主主義を求めるものは、日本社会にも決して少なくないが、天皇の戦争責任を追及せずして、真の戦争反対などは不可能である。日本軍「慰安婦」や徴用工の問題、在日コリアンに対する差別の問題なども、すべて天皇政府の朝鮮侵略政策の中で生まれたものであり、天皇の責任を追及せずにその根本的、本質的解決はない。天皇の戦争責任を追及しきれなかったことが、敗戦後の日本の民主主義の不完全さ、欺瞞性をもっとも明確に表しているのである。天皇の戦争責任に口を閉ざし、民主主義を実現することなど、到底為しえない。
〇象徴天皇制を問う
次に、わたしたちが考えなくてはならないことは『象徴天皇制』である。
戦後、アメリカは他の連合国の反対を押し切って、日本を「反共の砦」にするために、天皇ヒロヒトの戦争責任を追及せず、無罪放免として、占領支配に利用した。そして、1947年に施行された日本国憲法で、天皇を『国民統合の象徴』とし、政治的権限をもたない存在として、『象徴天皇制』を確立させた。
『象徴天皇制』への転換によって、天皇は政治的権能を保持せず、国家の最高権力者ではなくなったことは事実かもしれない。しかし、わたしたちが注目してみるべきところは、天皇そのものの、『最高権力者』から『象徴』への変化ではなく、わたしたち民衆と天皇および天皇制の関係である。日本の多くの民衆は、天皇を『敬うべき』存在であると認識し、マスコミも天皇・皇族にだけは敬称・敬語を使う。また、天皇の生活費は、あたりまえのように民衆から徴収した税によって賄われている。そして、たとえば神道政治連盟という神社本庁を頂点とし、全国8万以上の神社を包括する神社界を母体とする政治団体の理念に賛同を示す神政連国会議員懇談会には第4次安倍内閣20名のうち、19名が所属しているということからも示されるように、支配階級や政治家と、天皇制はあらゆるところで密接につながっている。天皇制は、敗戦後も依然として、構造的に、イデオロギー的に、文化的に、支配階級が民衆を支配するための重要な役割を果たしている。この点では、敗戦前の『天皇制』と『象徴天皇制』に変化はない。
〇天皇の言う「寄り添う」とは
とはいえ、『象徴天皇制』は、なにが悪いのかわからないという日本人が大半である。しかし、新天皇ナルヒトは「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら」と今回の即位礼正殿の儀でも決まり文句を述べたが、実際に「国民に寄り添った」事実が一体どこにあるのだろうか。被災地に慰問しながら、自らは厳しい避難所生活も、飢えることも、一生涯経験せず、無駄に金をかけた衣食住満ち足りた生活を悠々と送っている。支配階級は、被災地民衆に対し、十分な補償や措置を行わないことを、天皇の「心が痛む」というわけのわからないパフォーマンスで、ひた隠しにしているのだ。そして、民衆から徴収した税は、毎年何十億円も、天皇を含む皇室に充てている。2019年度の宮内庁予算は、代替わりの費用まで入れて、240億円という信じられない高額である。天皇は被災地や、ハンセン病療養所、水俣病などの被害地域などを訪れ、あたかも「寄り添っている」ような素振りを見せるが、しかし、それは責任の所在をぼやかし、本当に責任を取らねばならない真犯人の政府や、加害者である大企業への被害者らの怒りを緩和させる役割を果たしているのだ。それゆえ、敗戦前の天皇が国民を「赤子を愛すように愛する」と言いながらも、実際はなにも与えたことはなく、犠牲を強いただけであった状態と、構造的には変わっていないのである。
〇支配階級の求める「人間像」
資本主義社会の下で、支配階級である資本家や大企業は、自らの権益を守り、強化するために、民衆をできるだけ安い賃金で、できるだけ長時間働かせようとする。そして、不平不満が言えないように、『上』は『絶対』なのだと教え込み、民衆から声をあげる力を奪おうとする。安倍政権は、天皇と資本家、政治家、官僚を結びつかせ、絶対に反抗できないと思わせたいのである。そして、低賃金、労働強化にも不平を言わず、ストライキもできず、搾取・収奪されても、それがあたりまえだと考えてしまう価値観をうえこみ、人民統制に従順に従い、大資本の利権拡大のための侵略戦争にも国のため、天皇のためと戦場に赴く人間をつくろうとしている。そして、天皇制に反対したり、今の支配体制に反対する思想をもつものには、徹底的に圧力や実際の弾圧を加えている。権力は、「君が代」不起立で教師を戒告処分し、天皇制に反対を表明する学者や芸能人を次々と各界で追放し、天皇制に反対するデモや集会では、参加者や主催者に対し、不当な逮捕をくりかえしている。これは、敗戦前の、ほんの一言、天皇や国を批判するだけで『非国民』だと非難され、『治安維持法』によって厳しい弾圧が行われていた状態と、なにが違うのだろうか。
〇真の差別者はだれか
また、支配階級は、民衆同士を分断させるために、不当に人権を奪い、差別を生み出してきた。天皇制によって、「身分」「家柄」という価値観を深く浸透させ、部落差別を強化・固定化した。また、『ヤマト民族』が優れているとし、朝鮮民族や、中国・台湾の民族、アイヌ、沖縄の民衆を、差別してきた。そして、天皇や支配階級を頂点としたヒエラルキーは、民衆に、人間にあたかも優劣があるような価値観を抱かせ、家柄、学歴、容姿、障害の有無などで、わたしたち民衆の価値を貶めてきた。とくに障害の有無など、天皇制ヒエラルキーは「優生思想」とも密接につながっている。ここで一つ強調しておかねばならないことは、天皇を頂点とした「優劣」「貴賤」の考え方は、イデオロギーとして、考え方としてだけあるのではなく、実際上のヒエラルキーとしても存在していることである。
真の差別者は、天皇と結びついている支配階級であり、わたしたち民衆一人一人の良心の問題ではない。天皇制の下で、あらゆる差別を固定、強化し、再生産(新しい世代に差別観を受け継がせていく)している支配階級は、自らの責任を覆い隠すために、天皇制を利用しながら、わたしたち民衆の良心の問題であると吹聴しているのだ。
〇『日本人』は不平不満を言わない?
日本人は、嫌なことを嫌と言わない、政治運動に参加しない、などとよく言われるが、これは決して『国民性』などではない。日本の民衆だって、一揆や、米騒動、炭鉱でのストライキ、「普選」運動など、なんども、なんども、立ち上がってきた。人間の本質にかかわる問題(生命、人権、生活=人間性)で、『国民性』や『民族性』などというものは決して存在しない。しかし、徹底した資本至上主義による教育に加え、戦前から続く、天皇崇拝思想の浸透のために、民衆は、人間としての尊厳、主体性、自主的精神、科学的・論理的判断によって自分を律する力を奪われ続けてきたがゆえに、今の日本社会の現状があるのである。
〇わたしたちがなすべきこと
わたしたちは、わたしたちの主体性を取り戻し、尊厳のある人間として生活を営むため、差別と抑圧のない社会を真の意味で実現するため、天皇制に反対する声をあげ、行動しつづけなければならない。日本社会の『タブー』に屈してはならない。戦後初期に『天皇制反対』を掲げていた多くの左派が、強い圧力や弾圧に負け、次々とその主張を取り下げた。この、最も根本的な問題の一つに立ち向かうことをやめたことによって、表面的な問題にばかり終始したり、日本の『戦後民主主義』を『守る』などという、目指すべき社会像が示されないままの、あまりにも不十分な運動になってしまったりした。このような取り返しのつかない後退を、わたしたちはもう二度とくり返してはならない。今、天皇制絶対反対の声をあげ、たとえ、まわりの人間から、社会から、冷たい視線を浴びせられようとも、間違っているのは、わたしたちではない。悪いのは、わたしたちではない。
〇一人や、少数の行動では社会は変えられない?
支配体制というものは、支配されている側の抵抗がないか、足りないから、成り立っているのである。本当にこの社会を根本から変えたいなら、日本の民衆はこの社会を支えている一員として、反対の声をあげ、行動を起こさなくてはならない。自分一人が行動したって、社会は変わらない、と言う人は多いが、わたしたちは、大きな(時には抽象的な)目的を持つと同時に、個人の単位から、日々の、可能な具体的な行動を考え、実行することができる。大きな目標のために、具体的に行動を起こし、少しずつ前進することは、なにも行動しないこととは、まったく異なる。たとえば山をただぼうっと眺めていることと、実際に山に登り始めたことくらい、まったく違うことなのである。そして、頂上を見失わず、登りつづけていれば、すでに道を切り開いてくれている仲間にも出会えるかも知れないし、わたしたちの姿を見ただれかが、自分も登ってみよう、と登ってくるかも知れない。頂上があまりにも高く、到達することが困難なように思われても、実は、登り始めてみないと、いつ、どんな形で到達できるか、わからないのである。思いもよらなかった応援や、ピンチヒッター、そして、遠くから眺めていただけでは絶対に見つからなかったであろう、新しい上り道が見つかるかもしれない。ただ一つ確実なのは、山を眺めているだけでは、いつか勝手に頂上にたどり着いていることはない、ということである。社会は、勝手に変わっていくのではなく、わたしたち一人一人が、日々の行動の集積で、つくり続けているものなのである。
〇わたしたちは、どのような運動を目指すのか
そして、この文章の第一の問題としても立てた、天皇の戦争責任という中でも、侵略され、同化政策を余儀なくされた朝鮮民族や中国・台湾の民族、アイヌ、沖縄の民衆、貴賤の価値観や優生思想によって差別が固定、強化された下で生きねばならない部落民、障害者の立場に寄り添う視点を忘れてはならない。戦時下のファシズム政権のもとで、さまざまな人たちが抑圧され、残虐な人権侵害がまかり通ったが、その被害をもっとも受けた対象は、社会的弱者であった彼らであった。その被害が、今なお多くの深い傷跡を彼らの中に残しているばかりでなく、彼らが今なお差別されているがゆえにも、わたしたちは、彼らが排除されず、共にたたかっていける運動を、つくっていかねばならない。もっとも差別され、抑圧されている人々の立場に立った視点が欠落した運動は、本質的なところでは、支配体制を維持し、助長することと大差はないのだ。
そして、天皇制は、敗戦前の『天皇制』と『象徴天皇制』と、別物としてバラバラにあるのではなく、明らかな連続性がある。『象徴天皇制』をイデオロギーとしてだけ捉え、抽象的な議論をするのではなく、やはりわたしたちは、歴史的な経緯を踏まえ、天皇の戦争責任、日本帝国主義がもたらした重大な加害の責任追及をしっかりとしなくてはならない。それによって、はじめて、わたしたちは目指すべき社会像をはっきりと示すことが可能となる。
天皇制は、わたしたちがどのような人々の立場に立ち、寄り添い、そして、どのような社会変革を目指していくのか、はっきりわかる問いなのである。わたしたちは、このことを今一度深く考え、具体的な行動を伴った形で、反対の声をあげつづけよう。
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☆表現の一部を訂正しました。(2019.11.19)
セクション『わたしたちがなすべきこと』のなかに「 白い目で見られようとも」という表現がありましたが、「 冷たい視線を浴びせられようとも」に訂正しました。
理由:
「障害者の中に目の白い人は実際にいる。ここでは、『 白い目』 という語をネガティブな意味合いの表現として使用しているが、 実際にこの社会に暮らしているそのような人々のことを意識してい るのか」というご指摘をいただきました。
わたしたちは、あらゆる差別に反対する立場から、 差別用語や差別的な表現を、 普段から使用しないことにしています。健常者の視点からつくられ、 障害当事者には当てはまらない今回のような表現は、 聞き手によっては差別的に受け止められ得る、と判断しました。 第一次パンフレットでは書き手の認識不足と、 上述の指摘のような観点が確認作業の中で不足していたために、 該当箇所の表現をしてしまいました。
わたしたちは、 障害者差別を含むあらゆる差別に反対しています。 日常生活の中で、単に自分たちの言葉に気をつけるだけでなく、 差別される側の人たちと現実の闘いを共にたたかい続けます。
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☆表現の一部を訂正しました。(2019.11.19)
セクション『わたしたちがなすべきこと』のなかに「
理由:
「障害者の中に目の白い人は実際にいる。ここでは、『
わたしたちは、あらゆる差別に反対する立場から、
わたしたちは、
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