『空想より科学へ』(一)空想的社会主義 要約


 フリードリヒ・エンゲルス著『空想より科学へ -社会主義の発展』の学習会をする機会があり、要約を作成しました。本の要約は、必ず取りこぼしがあり、また単純化してしまうことや、要約作成者の理解の限界があるため、良いことであるとはあまり思いませんが、やはり古典を読みなれていなくて、一冊読み切るのが難しい人、労働や育児などの関係で、一冊読む時間をつくれない人、また目が悪く小さい字を読むのが困難な人などの方が、この要約を読み、考えるきっかけや、議論のきっかけになると良いと思い、作成しました。よろしければ、ぜひご活用下さい。

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 岩波訳者序より(大内兵衛)



『空想から科学へ』は、『反デューリング論』から三章を選んでまとめたパンフレットである。エンゲルスは自ら、『反デューリング論』の、「序論」のうちの「総論」と、第三部「社会主義」のうちの「歴史」と「理論」、合わせて三章を選んだ。『反デューリング論』と『家族・私有財産・国家の起源』は、エンゲルスの著作のうちで最も重要なものとされており、また、『反デューリング論』はマルクシズム全分野にわたる総括的な解説書の役割を果たしている。

 この『空想から科学へ』のパンフレットは、人間の思想の歴史の中で、新しい理想としての社会主義が(一)どうして生まれたか、(二)それがなぜ現実の(必要な)要求なのか、(三)将来それはどうなるものか、と整然と順序を追って説明している。このパンフレットは社会主義文献の中で、世界的にもっとも読まれており(『共産党宣言』や『資本論』よりも)、多くの人によって社会主義の入門書と定義されている。このパンフレットが書かれた時より、世界の状況・情勢は変化したが、このパンフレットに書かれている内容を、われわれはその後の歴史によって、検証することができる。そして、今こそ弁証法的思考法を身につけ、歴史をみる必要性がある。

 また、パンフレットについている英語版の序文は、もともとは別個の論文として発表され、独立のパンフレットとしても出版されている。その際の題名は『史的唯物論』であり、イギリスにおける『史的唯物論』の問題を述べている。『史的唯物論』について考える時、この序文は大いに参考になるし、重要である。



(一)空想的社会主義



 近代社会主義は、①社会での有産者と無産者、資本家と賃金労働者の階級対立と、②生産における無政府状態(生産に計画性がないこと)をみた上で生まれたものである。しかし、理論の形では、十八世紀のフランスの啓蒙主義者の思想と結びつかざるをえず、つまりは頭の中の「思想」の限界から、抜け出せなかった。



 理性を唯一の尺度として、フランス革命は行われ、理性社会と「理想」国家を実現した。その新制度は以前に比べればだいぶ合理的ではあったけれども、当時ブルジョアに成り上がろうとしていた中産市民のための理想化された制度にすぎなかった。(永遠の正義はブルジョア的法律として実現され、永久の平等は結局法の上でのブルジョア的平等になってしまい、もっとも重要な人間の権利として宣言されたのは、ブルジョア的所有権であった)

 しかし、フランス革命は、そのうちにプロレタリアートの運動(革命)をも、ふくんでいた。当時、プロレタリアートは生み出されたばかりで、階級として、完全にブルジョアジーから独立しているわけでもなく、(ブルジョアジーも独立しているわけではなかった)未成熟であった。そのため、フランス革命は、プロレタリアートの先駆者的階級の、運動や要求をも包含していた。

 プロレタリアートが未成熟であったがために、そこから関連して生まれてきた理論も、社会的基盤がなく、空想的なものであるしかなかった。すなわち、十六世紀、十七世紀には理想的社会の空想(ユートピア)的描写があり、十八世紀には直接共産主義的な理論(モレリーとマブリー)が現れた。そして、サン・シモン、フーリエ、オーウェンという、三人の偉大な空想家が現れた。

 この三人には共通の点があり、それは、当時歴史的に生み出されていたプロレタリア階級の利害の代表者ではなかった。彼らは、まずある特定の階級を解放しようとはせずに、いきなり全人類を解放しようとした。

 当時の資本主義的生産様式は発展途上で、それに伴うブルジョアジーとプロレタリアートとの対立は、きわめて未発達だった。大工業はイギリスで生まれたばかりで、フランスでは知られてもいなかった。フランス革命で無産階級は、それをブルジョア革命に押しとどめず、プロレタリア革命にまでもっていくことは可能であると思われるほどの勢いであったが、しかし、このような階級の対立が不十分であり、階級形成、それによって階級の主体形成が不十分であった歴史的限界があり、それはやはり不可能であったことを示した。このような歴史的事情は、当時の社会主義者の思考をも、制約した。資本主義的生産も階級の地位も未熟であったから、それに照応して理論もまた未熟で、社会問題の解決方法もまた未発展の経済的諸関係のうちに隠れていたから、それも頭で作り出すしかなかった。

 

●これから三人の空想的社会主義者の話に入るが、エンゲルスはそれをただ空想的だと批判しているのではない。上述のような歴史的限界がありながらも、その空想の中に含まれた彼らの逸出した思想の萌芽を評価し、また、そのような思想の発展の流れの中で、自らの思想形成がもたらされたという認識がある。



  サン・シモン 

サン・シモンは、フランス革命を階級闘争と把握し、貴族、ブルジョア階級と無産者との間の階級闘争として把握したことは、きわめて天才的な発見であった。彼はつねに「最も多数で最も貧乏な階級」の運命を気にかけたが、無産者を、プロレタリア階級と認識することはできず(それは歴史的な限界のためにでもある)、また無産者も精神的指導と政治的能力がないと、サン・シモンには恐怖時代(*)によってそれが証明されたと思われた。ではだれが指導や支配をやるべきなのか?という問いに対する彼の答えは、「科学と産業」であった。そして、彼の言う「科学」とは、高等教育を受けた人であり、また「産業」とはまずブルジョアとして働いている人、すなわち、工場長や銀行家などであった。そのため、彼は、銀行家の良心などを説いた。

 またそれだけでなく彼は、経済的なものが、政治や国家の基礎になるということを見抜いていた。(経済的なものが下部構造、政治や国家は上部構造)



(*)フランス革命時代のうちジャコバン党の独裁が行われた時期(1793-94)をさす。ジャコバン党が革命裁判所を設け、反革命分子を捕えて断頭台に送ったのでこの名で呼ばれる。ジャコバン党はフランス革命推進の主流派であった。



  フーリエ

フーリエは批評家であり、現実をしかと見、ブルジョア思想家たちの美辞麗句を、具体的現実をもってして、批判した。彼はブルジョア社会の物質的なそして精神的な貧困を容赦なく摘発した。そのなかでとりわけ見事なのは、男女関係のブルジョア的形式とブルジョア社会における女性の地位に対する彼の批判である。ある一つの社会における女性解放の程度はその社会の一般的解放の自然的尺度であるとは、彼がはじめて言い出した。また、フーリエの人間の社会の歴史についての見解も、弁証法的であり、たとえば「文明社会においては貧困は豊富そのものから生じる」と述べている。フーリエは、当時の人間完成の無限の可能性を反駁し、すべての歴史的段階には興隆期もあれば衰退期もあると、歴史観のうちに人類の没落をとりいれた。



  オーウェン

オーウェンはイギリスでの蒸気と新しい作業機によって、工場制手工業(マニュファクチャー)が近代的大工業となってブルジョア社会の全根底を変革した最中、工場長として実践的批評を行った。彼は唯物論に立つ啓蒙主義者の学説を信奉し、産業革命の中、それを実践にうつした。彼は、当時のほかの工場における労働環境と比して、かなり労働者よりの労働環境を整えた。ただ彼は人間を人間らしい状態におき、特に青少年を注意深く教育した。彼は幼稚園の発案者であり、はじめてイギリスにそれを開設した。彼はそのような実践の中で、富は労働者がつくり出したものであり、たとえばその生産を行う機械(新しい巨大な生産力)は、労働者が共有財産として所有し、万人の共同利益のために使用されるべきだと考え、社会主義者になった。彼が共産主義理論をひっさげて、社会変革を行おうとした時、大きな障害として私有財産、宗教、現在の婚姻形式があり、それらを攻撃したがゆえに、彼は社会から追放され、また財産を失い、零落した。しかし、彼はその後も、労働者階級の味方をすることに決め、労働者階級のうちで運動をつづけた。そして、労働者の利益のためのさまざまな社会運動を行い、それらは今なおオーウェンの名と結びついている。だが、オーウェンの行ったことは、一切の社会的害悪の万能薬ではなく、根本的な社会変革への第一歩であった。



〔空想より科学へ〕

 このような空想家の考え方は十九世紀の社会主義思想を久しい間支配し、部分的には今なお支配している。彼らにとって、社会主義は絶対的真理であり、また真理であるがゆえに、人間の歴史的発展とは無関係に、単なる偶然として発見されるものである。しかし、各々の絶対的真理や理性や正義もまた、彼の主観的理解力、彼の生活条件、彼の学識及び知的訓練の程度によって制約されざるをえない。また絶対的真理と絶対的真理との争いも、互いに排斥し合う以外に、解決法はない。

 社会主義を一つの科学とするためには、まずもって、それを現実の基盤の上にすえねばならない。

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