『空想より科学へ』(二)弁証法的唯物論 要約



(二)弁証法的唯物論



 フランス哲学とならんで、そしてそれに続いて近代ドイツ哲学が生まれた。ヘーゲルにいたって完成した近代ドイツ哲学の最大の功績は、弁証法を思惟の最高形式として復興させたことであった。弁証法は、古代ギリシアの時代からアリストテレスをはじめとする哲学者らによってすでに研究されていた。そして、デカルトやスピノザなどの弁証法を代表する哲学者も現れたが、とくにイギリスの影響を受けて、しだいに形而上学的な思惟方法に落ちこんでいった。



()形而上―①形式を離れたもの。抽象的なもの。無形。

      ②〔哲学〕時間・空間の感性形式をとる経験的現象として存在することなく、それ自身超自然的であって、ただ理性的思惟に、または独特な直観によってとらえられるとされる究極的なもの。(広辞苑)



これから、形而上学的思惟方法と、弁証法的思惟方法の要点を歴史的経緯に沿って、述べていく。



(1)   弁証法のはじまり、形而上学の形成とその限界



自然、人類の歴史、われわれの精神活動を考察するとき、われわれはまずさきに関連と相互作用と無限に錯綜したその姿を見る。すべてのものは、変わらないものは一つもなく、動き、変化し、生成し、消滅する。原始的で素朴ではあるが、本質的に正しいこの世界観は、古代ギリシア哲学においてすでにあった。はじめてこれを明瞭に言い表したのは、『万物は流転する』と述べたヘラクレイトスだった。

しかし、この見方は現象の全体像の一般的性格を正しく把握してはいるけれども、この全体像を構成している個別を説明するには不十分である。個別のものを知らないでは全体像がわかるはずがない。個別を認識するためには、われわれはその個別を、自然的ないし歴史的関係から引き離して、個々別々にその自体の特性や特殊な原因や結果などを考察しなければならない。これこそが自然科学や歴史研究の任務である。このような精密な自然科学はアレキサンドリア時代のギリシア人がやり、中世にはアラビア人が発展させた。

しかし、ほんとうの自然科学のはじまりは十五世紀の後半であり、それ以後、加速度的に進歩してきた。このような研究の仕方は、自然の認識において、われわれがこの400年のあいだにとげた巨大な進歩になくてはならない根本条件であった。

しかしながらこういう方法は、自然物と自然過程とを個々ばらばらに切りはなして大きな全体的関連の外で把握するという習慣をわれわれに残した。そして、ベーコンやロックのような人によって、この考え方が自然科学から哲学へ輸入されたとき、形而上学的思惟方法を生み出したのである。



形而上学的な考え方は、対象の性質によっては相当の範囲までは正当であり、かつ、必要でさえあるが、いつかは必ず一つの限界につきあたる。そして、その限界を越えると、それは一面的な、偏狭な、抽象的なものとなり、矛盾におちいってどうすることもできなくなる。形而上学的な考え方は個々のものに目をうばわれて関連を忘れ、その存在に目をうばわれて生成と消滅を忘れ、その静止に目をうばわれてその運動を忘れるからである。ただ木だけを見て森を見ないのである。



(2)   弁証法の復興と、ヘーゲルの功績、そして転倒していたヘーゲル体系



 これに反して、弁証法は、事物とその概念たる模写を、本質的に、関連、連鎖、運動、発生及び消滅においてとらえる。近代自然科学は、きわめて豊富に個別の材料を集めて、研究し、自然は結局においては形而上学的にではなく、弁証法的にうごくものであるということを検証している。不断にくり返される循環運動をしているのではなく、一つの現実の歴史を経過しているのである。この点では、ダーウィンは、今日の一切の有機的自然、つまり植物も動物も人間も、数百万年にわたるたえまない進化の過程の産物であることを証明し、形而上学的自然観に強烈な打撃を与えた。



 すぐさま近代ドイツ哲学はこの弁証法的見方をもって登場した。ニュートンが、静止しているものが運動をはじめるには必ずその外部に原因がなければならないという考えによって、宇宙全体の運動の第一の原因は神であると見たのに対し、カントは太陽もすべての惑星も回転する星雲から生じたものだと言った。そして太陽系がこのように発生したものならば、将来それが死滅することも必然だと考えていた。

 そして、この新しいドイツ哲学は、ヘーゲルの体系によって完成した。はじめて、自然と歴史と精神の全世界が一つの過程として説明されるようになった。彼は、自然と歴史と精神の全世界は、不断の運動、変化、変形、発展のなかにあると説き、そういう運動と発展の内的連関の証明も試みた。

 ヘーゲルは自ら提起したこの『人類の歴史の発展過程において、外見では偶然に見えたとしても、その過程をつらぬく内的合法則性』を解決することはできなかった。しかし、この問題を提起したことこそが、彼の画期的で偉大な功績であった。

 ヘーゲルがこの問題を解けなかったのは、第一に、彼自身の知識の範囲が限られていた。第二に彼の時代の知識と見解もその広さと深さとに限界があった。第三に、ヘーゲルは観念論者であった。

 「理念(イデー)」は本来人間が外物の影響下で思考によって頭の中につくりあげたものだが、ヘーゲルはこれとは反対に、世界の発生前に存在していた「理念」が、現実に模写されて、世界の歴史が展開されると考えた。つまり、ヘーゲルの弁証法では、世界の現実の連関がひっくり返されていた。



(3)   唯物史観の誕生、そして社会主義は科学となった



 ドイツ観念論が完全にまちがっているとわかるにつれて、唯物論へと進んだ。近代唯物論は、自然を永久不変のものとは見ずに、自然もまた時間の中に歴史をもち、発生し、消滅するもので、一般に、循環運動は許されるかぎり無限にひろがるものであると見た。

 自然観におけるこのような変化は、歴史観にも変化をもたらした。

 1831年にはフランスのリヨンで最初の労働者蜂起があった(※1)。1838年から1842年には最初の全国的労働者運動たるチャーティスト運動が、頂点に達した(2)。プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争が、ブルジョアジーの政治的支配が発展するにつれて、前面に現れてくるようになった。このような階級利害の対立は、ますます激化した。しかし、まだ生き残っていた旧来の観念論的歴史観は、物質的利害にもとづく階級闘争を、いや、およそ物質的利害なるものを知らなかった。



(1)フランスのリヨンの絹織工が賃金を要求したさい、国民軍との間に小ぜりあいが生じたのを発端に、全市にわたり市街戦が展開され、労働者は数日間リヨンを占領した。



(2)イギリスでつくられた最初の労働者の党。イギリスでは1832年に選挙法の改正がおこなわれたが、労働者には選挙権が認められないままであった。その後、労働者の選挙権を要求する広範な運動がおこり、183858日に、彼らの要求を述べた文書が発表された。この文書が『人民憲章(ピープルズ・チャーター)』と名づけられたので、これから「チャーティスト」という名前が生まれた。



 このような新しい現実の問題に直面して、これまでの歴史の全体が新しく研究しなおされるようになった。その結果、従来の一切の歴史は、原始時代を除けば、階級闘争の歴史であったことが明らかになった(『階級闘争史観』)。この闘争しあう社会階級は常に生産と交換関係の、一言でいえばその時代の経済的諸関係の産物であること、それゆえに、そのときどきの社会の経済的構造が、常にその現実の基礎(土台)をなし、歴史上の各時代の、法律制度や政治制度はもちろんそのほか宗教や哲学やその他の観念様式などの上部構造は、究極においてはこの経済的基礎から説明されるべきだということが明らかになった。

 いまやここに唯物史観なるものが生まれた。そしてそれは従来のように人間の存在をその意識から説明する方法ではなく、人間の意識をその存在から説明する方法であった。

 社会主義は、一人の天才の頭脳が偶然発見したものではなく、現実にあるプロレタリアートとブルジョアジーの闘争の、必然の産物として現れたのである。社会主義の任務は、できるだけ完全な社会制度を考案することではなく、この衝突を解決する手段を発見することであった。

 従来の社会主義は、現存の資本主義的生産様式とその結果を批判したけれど、搾取がどこに存在するのか、それはいかにして発生するのかということを説明できなかった。したがって、それをどうすることもできなかった。これを説明するには、まず一方では、資本主義的生産様式をその歴史的連関のなかにおいて示し、一定の歴史的時期におけるその必然性を明らかにし、したがってまた、その没落の必然性を示すことが必要だった。そしてまた他方では、資本主義の正体、内部の性質を暴き出すことも必要だった。このことは、剰余価値(・・・・)(3)の暴露によって成し遂げられた。不払労働の取得こそが、資本主義生産方法とそれによって行われる労働者搾取の基本形態であることがわかった。



(3)剰余価値―労働者が新しく付加した価値のうち、労働者の労働力の価値(賃金として支払われる部分)を超える部分。これが資本の利潤となる。詳しくは、『賃金・価格・利潤』、『賃労働と資本』等が参考になる。



 資本主義的生産と資本の生産の由来、正体が明らかになった。この二大発見――すなわち唯物史観と、資本主義的生産様式の秘密の暴露は、マルクスのおかげでわれわれにあたえられたものである。社会主義は、この発見によって、一つの科学となった。そこでこの科学について、われわれは、その細目と関連について、より十分に研究しなくてはならない。



()資本主義的生産様式―岩波版『空想より科学へ』では、『資本主義的生産方法』となっているが、『資本主義的生産様式』は社会科学の用語として確立されているので、一般的には『―様式』の方が通用しやすいと思われる。


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